すみっこのコト。

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性同一障害への理解度

性同一障害への認識は、世界規模で変化しています。

タイでは男女共用のトイレで、心は異性のために同性の中で用を足すことに苦痛を感じる人々への配慮がなされていますし、同性婚は世界の約20パーセントの地域で認められています。

このように、世界は驚くほどのスピードで性に対する認識を変容させているのですが、日本はまだまだそのような思い切った政策が打ち出されるとは思えません。現在ではオネエタレントなどのテレビ露出により、そのイメージが大きく変わったようには思います。しかし現状、日本ではまだまだ珍しい存在であるとの考えは根強く、好奇な目線が注がれることは間違いのないことでしょう。

 

そんな日本で、京都の市役所が国民健康保険の名義を本名ではなく、通称名で発行したことが確認されました。つまり、男性が女性の名前で国民健康保険に登録したということです。その男性は病院などで男である自分の名前を呼ばれるたびに、苦痛を感じていたそうです。確かに、自分が女性であると心では思っているのに、周囲からは男の扱いを受けるということはとても辛いのだろうなと思います。

 

とはいえ、頭の固いイメージのある市役所がそのような措置に出るというのは、ちょっと信じがたいものがあります。そして、その決断には強い信念と想いがあったのだと思います。一人の職員が立ち上がり、市役所全体が納得するまで、考えを突き通したのでしょうか。そうでもなければ、組織の考えを変えるのは難しいと思います。

 

性同一性障害の人たちでつくる一般社団法人「日本性同一性障害とともに生きる人々の会」も、その対応にはとても配慮のある対応だとして、賞賛の声をあげています。

 

わたしは心に反して生きることを強いられることほど、辛いことはないと思っています。わたし自身、今までの人生は親のレールに敷かれていた人生で、何か充足感を感じられない生き方だと感じていました。こんなことを言うと、性同一障害の人に、「そんなの親を振り切ればよかっただけだろう。わたしたちはそんな甘い世界に生きてないんだ。」と厳しく叱咤されてしまうかもしれません。でも、そんな私だからこそ、少しその苦渋の意味が理解できるのです。

 

わたしはもっと性同一障害についての考え方を柔軟にしても良いのではないかと思います。心が違うと懸命に訴えているものを、制度が無理やりに強制するのは、違うと思うのです。もっとその人に合わせた生き方の提案ができるような国になればと願うばかりです。